コーチングは意味がないのか?

コーチングは意味がないのか?

コーチングは意味がない?

今世の中で、コーチングというコミュニケーション技術が大きな注目を浴びています。
書店にも「コーチング」のコーナーがあるようになったり、
テレビなどでも「コーチング」という言葉を聞く機会が増えました。

また最近では日本でも、
大手企業がコーチングを導入したり、
小学校、中学校などの教育機関では、
先生のためだけでなく子ども達のためにコーチングが導入されている事例もあります。

大きな注目を浴びるようになった一方で、
「コーチングなんか受けても意味ないよ」
と言うような発言も多く聞くようになりました。

なので、実際のところどうなのか、
というお話をしていきたいと思います。

 

そもそもコーチングとは

そもそもコーチングとはなんなのか。

コーチングというのは、ものすごくシンプルに言えば、
「目標に向かって頑張る人を、コミュニケーションの専門的スキルを使って応援する技術」
のことです。

「頑張れ!」

という言葉は応援を目的として使われますが、
相手の状態によってはそれが応援にならず、
かえってプレッシャーになってしまい、
パフォーマンスを下げてしまうこともありますよね?

コーチングというのは、
ただ単純に「頑張れ」と応援をすることではなくて、
相手の状態を見極めて、適切なコミュニケーションで、
相手の目標達成をサポートすることです。

例えば、
子どもが学校の宿題をやらなければいけない、
でもやる気がない、ゲームがしたい、
なんていう状態があるとします。

親としては、
あの手この手で我が子に宿題をやらせようとしたりするものです。

「宿題しないと先生に怒られるよ」

「宿題したら好きなもの買ってあげるよ」

「あなたの未来のために言ってるのよ」

「いいから早く宿題やりなさい!(怒)」

などなど(笑)

では、
こういった声がけは、
本当に我が子のためを思った、
我が子にとって応援となる声がけでしょうか?

もしかしたらそうかもしれないし、
そうじゃないかもしれません。

親としては、

・宿題をしない子どもが許せない
・宿題もしないような子どもという存在が不安
・親として出来損ないだと思われたくない

などなど、
もしかすると、
「子どものため」という大義名分のもと、
自分の正しさを証明しようとしていたり、
なんていうこともあるかもしれませんよね。

 

コーチングを受けても効果が出ない人

つまりシンプルに言えば、
コーチングというのは「今、応援して欲しい人」のための技術です。

なので、
応援されたくない、と思っている人には、
効果的ではない、と言えます。

例えば、
会社で営業をしていて、
やりたくもないけど外回りをして、
会社から求められる数字を、
追いかけたくないけどやらざるを得ない。
そんな状況。

こういうのって、実際よくある状況ですよね。

「あの社員はどうもやる気がないから」

と言って、
コーチングを依頼されたりすることがあります。
(実際依頼されました)

が、
こういった方のためのコーチングは、
基本的にあまり機能しません。
なので、効果が出ません。

なぜかというと、
本人にそこまでのやる気がないからです。

むしろ、
「やりたくない」
と思ってしまっている。

つまり、
応援を求めていないんです。

応援なんてしてほしくない、
と思っているかもしれません。

それか、
「楽になりたい」
と思っているかもしれません。

ただ、
コーチングというのは、
「その人は本当はどういう状態を目指しているのか」
を、じっくりと大切にしていく必要があります。

本人がきちんと自覚していない、
「理想の自分の姿」
を浮き彫りにし、
それを応援できるのがコーチングです。

「やる気のない営業マン」
にも、
「やる気がないにも関わらずその仕事を続けている何かしらの理由」
があります。

そこには、
何かしらの本人も気づいていない内的な動機があるかもしれません。

もしそうなのだとしたら、
先にそちらを明らかにすることで、
「今この仕事をすること」の捉え方が本人の中で変わり、
自然と「営業成績を伸ばしたい」
と思えるようになるかもしれません。

なので、
「こういうタイプの人はコーチングは効果が出ない」
と、一概に言うことはできません。

 

コーチングを受けない方が良い人

コーチングセッションを受けることができない人のことを、
「アンコーチャブル(な人)」と言います。

コーチング不可能な人、と言う意味です。

コーチングが不可能なのであれば、
コーチングを受けない方がいいですよね。

では、
アンコーチャブルな人とはどういう人なのでしょうか。

 

例えば
「自分で決められない人」
が挙げられます。

コーチングは、
自分で決めて自分で行動することを支援する技術です。

なので、
最初から自分で決めたいと思っていない人をコーチングすることは難しいです。

また、
行動したくない、誰かに何とかしてほしい、
という態度の人もアンコーチャブルです。

いわゆる、
「依存的な人」
ですね。

中には、
「質問をされたくない」
という人もいます。

質問をされたくない人の多くは、
答えをさらけ出すことを嫌います。

なぜ答えをさらけ出したくないのかというと、
自分が不正解を言うことが怖かったり、
自分の考えを人にとやかく言われて傷つきたくないからです。

つまりシンプルな言葉で言えば、
「自分と向き合いたくない人」
と言えます。

依存的な人というのも、
紐解いていくとそういう人です。

自分で決めた選択が間違っていたら、、、
と考えてしまっているわけです。

ただ、裏を返せば、
どんな人にでも少なからずそういう部分はあります。

なので、
そういう部分も含めて向き合うことができるかどうか、が、
コーチングを受けられるかどうかのカギになります。

 

コーチングを受けたことで人生が変わった実体験

僕自身も、非常に依存心が強い人間でした。

誰かのせいにしておくと、非常に楽なんです。

それで何か間違いを犯したとしても、
その人のせいにしておけばいい。

「お母さんがやれって言ったんじゃん!」

みたいな感じで。

ただ、
大人になってもそんな思考回路でいる自分に気づくと、
これってみっともないことだな、
とも思うようになるわけです。

依存的でいるうちは、
自分の成長を実感することができません。

成長というのは、
自分で決めて、自分でチャレンジして、
失敗や小さな成功を積み重ねていくことで、
実感することができるものだからです。

依存的であるうちは、
その実感が難しいのです。

なぜ依存的であるうちは、
成長の実感が難しいのでしょうか?

例えば、
車の運転をできるようになりたいと思っている人が、
いつまでも助手席に座ったままで、誰かに運転をゆだねていて、
運転をできるようになるでしょうか?

ならないですよね?

それと同じなんです。

失敗しながらでも自分でやってみる、という経験をしていかないと、
人は成長を実感することはできません。

というより、
失敗の体験とその克服の積み重ねこそが、
その人の成長史になるわけです。

依存的な態度をとり続ける人というのは、
失敗をする心の準備ができていない人、とも言えます。

無意識にも
「あーなっちゃうかもしれない」
「こーなっちゃうかもしれない」

「だから、あの人の言うとおりにやっておこう(そうすれば失敗してもあの人のせいだから」

という心理が働き続けてるんです。

僕自身がずっとそうでした。

自分自身の成長を感じられないまま、
体ばかり大きくなっていきました。

この状態が、すごくもどかしかったんです。

自分で自分の人生をどうしたいのかもよくわからない。
人から指図をされるのはいやだ、なんて思いつつ、
全部指図してもらうと楽、と同時に思っていたり。

自分という人間は、
なんて出来損ないな人間なんだ、
とずっと思い続けてきました。

それが、
コーチングと出会って、

「出来損なっている部分はあるけれど、それがイコールだめというわけではない」
「欠損を感じる部分は、そもそも必要ない部分かもしれないし、必要ならそれはのびしろ」
「失敗は怖いけど、理想の状態に向けてのびしろを伸ばせる自分になりたい」

そんなふうに考えられるようになりました。

そんなふうに思考回路が変わってから、
僕の行動は大きく変わり始め、
いろんな失敗をしながらも、
日々成長を実感し、
今では会社を経営するようになりました。

理想とするライフスタイルに
日々近づいている実感があります。

つまり、
僕は自分の目標だとか、人生の行き先みたいなものは見えていませんでしたが、
それでもコーチングは意味があった、ということです。

留意すべきは、
「人から与えられた、達成する気のないノルマを目標にしてコーチングをしても、動機の整理をきちんとしない限りそのコーチングは機能しない」
ということです。

その人の心が本当はどこに向かいたいと思っているのか。
その見極めこそ、コーチングの重要ポイントなわけです。

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