起業から嬉業へ。本業は、自分自身を生きること

起業から嬉業へ。本業は、自分自身を生きること

 

実は最近、従来の「起業」という考え方にちょっと疑問を感じることがありまして。

もうちょっと新しい考え方のようなものがあってもいいんじゃないか、と考えています。

今の世の中って、どうも「雇われる」or「独立起業」or「家庭に入る」or「それらの準備期間」のどれかに、
自分をカテゴライズしなければいけない雰囲気があるように感じています。

そんなふうに感じている僕自身の感覚がもうすでに古いのかもしれませんが。

そして、「独立起業」というと、なにか一発成功を当てに行くような、そんな偏った感覚もあるように思います。

もっと、そんなふうに自分に対して偏ったカテゴライズをするのではなく、
自分自身がどんな人たちとどんなふうにつながって、どんなふうに生きていきたいのか、
そんなことを自然体の自分で体現していけるような、そんな在り方があってもいいんじゃないかな、
と思うんです。

それは、
よくある「自由人」みたいのともまた違って。

先日、とあるセミナーに出たのですが、非常に印象的な言葉がありました。

それは、

「個の時代、というけれど、それはつながりを断つということではなく、シェアリングエコノミーという言葉に代表されるように、個人がいかに独立意思で他とつながっていくかを自分で選ぶ時代、ということ」

「独立というのは一人でお金を稼ぐ時代ではなく、むしろ一人ひとりが独立したまま、自分のできることで周りとつながり、できないことや苦手分野では周りの人に助けてもらい、そうやって生きていくこと」

という言葉です。

確かに最近はそういった生き方をする人が増えてきていると思います。
それは主に「フリーランス」と呼ばれる働き方をする人たちの中に多くいるように見えます。

なぜそういう働き方をする人が増えたのかというと、
それは単純に「その方が幸せだから」という一言に集約されるように思います。

そして僕は、
主体性を持ちながら、義務や責務ではなく、緩やかに周りの人とつながるでもなくつながる、
そんな人がもっと増えたら、きっともっと幸せを感じながら生きる人が増えるように思うんです。

そこで、
この考え方について、まとまるかわかりませんが、ちょっと書けることを書いていってみようと思います。

 

主体性とは

社会に向けて自分の身の振り方を自分で見出し、自分で決めて、
自分の責任で自分の人生を実現していくという、
その態度が主体性です。

人が幸せを感じられない時というのは、
他責状態の時です。

つまり、あれもこれも誰かのせい、何かのせい、という状態です。

よくあるのが、
「あの上司がどーしたこーした」
というような愚痴です。

また、
「奥さんが怒るからなんだかんだ」
というようなのもそうです。

そもそも本来は、
その関係性に身を置くことでそこから恩恵を得ているのに、
それに対する感謝をすっ飛ばし、
そこに登場する人物に自分の気分を害された、
と主張しているわけです。

そして不思議なのは、
そこに身を置くことを自ら選んでいるはずなのに、
それすらすっ飛ばした思考回路になってしまっていることです。

・いかなきゃいけない会社に嫌な上司がいる

・帰らなきゃいけない家に嫌な配偶者がいる

こんな状態ですね。

これは独立意思が低い状態で、
まるで誰かにそれを押し付けられて、
仕方なくその態度を取り続けなければいけなくなってしまっている、
と主張している状態です。

主体性が高い状態では、
どこに身を置くか、誰と繋がるか、どんな繋がりを持つか、どんな関係性を続けるか、どうしていきたいのか、
これらをきちんと自分の責任で考え、実行し続けることができます。

唯一主体性を持つことができないのは「子ども」です。

「子どもは生まれてくる家を選べない」

という言葉が象徴するように、
子どもというのは自分のことに自分で責任を持つことができません。

だから保護者が必要になります。

そして子どもは何かあると、すぐ保護者のせいにします。

逆に言えば、
自分が生きる、ということに自分で責任を持とうとしない態度というのは、
子どもと同じ、というふうにも言えるわけです。

いつまでも子どものように誰かのせい、何かのせいという態度ではなく、
自分の生き方に対する責任を自分で持てる状態が、
主体性が高い状態です。

この状態は、周囲や環境、状況に対する感謝が自然と生まれやすくなります。
独立した自分が、様々な要因に支えられていることを知るからです。

そして、感謝が生まれるからこそ、
日々自然と幸せを感じられるようになります。

 

責任とは

上の文章を書いていて、
何度か「責任」という言葉が登場したので、
この責任についての定義もある程度示したいと思います。

責任という言葉は英語にすると、
responsibility
と言います。

この言葉は、
response と ability
という二つの言葉が元になっています。

response(反応)とability(能力)、
つまり、反応選択能力のことです。

例えば、
「怒鳴られたから思わず怒鳴りかえした」
なんていうのは、
出来事に対する自分の反応の選択を放棄している状態、
と言えますよね。

これは自分の反応に責任を持っていない状態、と言えます。

それが違法行為になった場合、
その法律の罰則に従うか従わないか、
という選択肢が現れます。

そして、その罰則に従うことが
「責任を取ること」と言われる場合もあります。

感情や反射に反応を委ねてしまい、
自らが反応を選択していない状態、
これが「無責任な状態」と言えるわけです。

子どもは基本無責任ですし、
無責任だから子どもと言えます。

そして、
責任の感覚を覚えていくことで、
子どもは大人になっていきます。

 

嬉業という考え方

最近僕は、
起業、ではなく、嬉業、という考え方を持つようになってきました。

嬉業、というのは、

・自分の嬉しいが人の嬉しいになる
・人の嬉しいが自分の嬉しいになる
・そういう嬉しいが増えることが社会の嬉しいになる

そんな態度を持つ人たちがつながりあい、
生きていく+αの幸せと豊かさを持続的に実感できる
そんな「役割」の果たし方のことです。

あえて「役割」と言ったのは、
「働き方」だけに限定する考え方にしたくないからです。

人間関係の中でどのような「役割」を果たしていくか、
という役割を「業」という一言で現せたら、
と考えています。

「嬉しい」が「業」になる、
それが「嬉業」です。

会社の中でも嬉業。
自分が嬉しくて、会社の仲間や上司、お客さんも嬉しい。
そんな会社が増えたら社会が嬉しい。

フリーランスでも嬉業。
自分が嬉しいことをして、周りの人も嬉しくて、仲間も集まり、プロジェクトができて、オーディエンスも嬉しい。
そんなプロジェクトが増えたら社会が嬉しい。

家庭内でも嬉業。
自分が嬉しいことをして、一緒にいて嬉しい人と、一緒に嬉しいことをする。
そんな家族が増えたら社会が嬉しい。

みんなが自分が嬉しくて、
それがみんなの嬉しさを増幅させる。
そんな嬉しい役割をそれぞれが主体性を持って楽しむ。

それが「嬉業家」が溢れる社会。

 

嬉業を成り立たせるフレームワーク

嬉業を成り立たせるフレームワークは
ごく一般的なものです。

それは、
ビジョン→ルート→リソース→アクション

よく、
ミッション→戦略→戦術→実行
という言い方をしますが、
なんとなく平和的じゃないので言い換えました。

 

ビジョンというのは、理想の世界観のことです。

理想の世界観といっても、
そんな大げさなものではありません。

未来、自分はどんなふうに幸せに過ごしたいのか。
どんな関係性の中で、どんなふうに生きることが理想なのか。
その時、自分と近い世の中は、どんなふうだったら嬉しいか。
その近い世の中の周りに広がっている世の中は、どんなふうだったら嬉しいか。

あまり大げさに考えるのではなく、
まず近い世の中からイメージしてみるのがいいかな、と思っています。

もちろん、
今「これが解決されたらいいな」と思う社会の困りごとや問題などに関心があり、
それの解決に取り組みたい、ということであれば、
そこにビジョンを持ってくるのもとても良いと思います。

それはきっと、
情熱を持って取り組めるお仕事になることでしょう。

そういうものがあれば、そこに向かっていくビジョンを描けばいいし、
特に今そういうものがない、ということであれば、
自分に近い世の中からイメージするのが良いと思います。

要は、
「よりイメージしやすい」
ということが大事なんです。

そして、
結局はどうなるかわからない未来のことなので、
あれは無理、これは難しい、と、
この時点で勝手に決めつけないのがポイントです。

そしてもう一つ。
ビジョンには自分だけでなく、自分の周りや世の中を登場させること。
嬉業家になるためには、つながりがとても大切だからです。

 

ビジョンが描けたら、
それが実現されたという前提に立って、
どんなルートでそれが実現されていったのか、
ということを書き出していきます。

書いていくうちに気づくと思うのですが、
どんな壮大なビジョンだったとしても、
協力者が現れれば大抵は実現できてしまいます。

宇宙開発だって、
現在宇宙開発をしている人の協力を得れば、
現実のものにできるかもしれません。

この時点でムリだと決めつけないことです。
「どんな人が登場してくれたらビジョンに近づけるか」
と考えるようにしてみてください。

六次の隔たり、という言葉があります。
これは、
「すべての人や物事は、6ステップ以内のつながりの中にある」
という意味です。

知り合いの知り合いをたどっていけば、
繋がれない人はいないんです。

特に今は、インターネットが発達していますしね。

 

ある程度ルートが描けたら、
今度はそのルートを進んでいくためには、
どんなリソースがあれば良いのかを探っていきます。

リソースというのは、
知識や技術、ノウハウやスキルのことです。

ここまでがある程度明確になれば、
あとはアクションを起こすだけです。

 

ビジョンの時点で、
自分の嬉しいが人の嬉しいになり、
人の嬉しいが自分の嬉しいになり、
それが社会に広がっていく状況を描けたら、
それは独立起業だろうが、既存の会社内だろうが、
はたまた家庭内にいたとしても、
描いたルートを進んでいくことで、
誰だって嬉業家になることができるんです。

大事なのは、
・主体性
・自分が嬉しい
・周りが嬉しい
・その嬉しいが広がっていく
ということです。

これを実現できたら、
どんな人だって確実に強い幸せを味わい続けられると思いませんか?

 

大事なのは、どこにいても主体性を持つことです。

最近は副業という言葉が盛んに叫ばれるようになりました。

ですが僕は、
本業と副業、というふうに分ける必要が
果たして本当にあるのだろうか、と考えます。

本来の自分自身を生きていれば、
仕事にメインもサブもないはずです。

また、
ライフワークとライスワーク、という考え方も、
どうなんだろうな、と思っています。

今がライフの真っ最中で、
その中でワークをして、
誰だってライスを食べるわけです。

それを、
本業だライスワークだと言ってしまうと、
「今を生きるために、仕方なくやる仕事」
というような意味合いになってしまう気がしてならないのです。

自分で選んだのに、
就職したくてしたのに、
「仕方なくやる仕事」

これは主体的な考え方ではありませんよね。

まず、
今おかれている状況を主体的に考えてみる。

これがきっと、
嬉業家になる第一歩なんじゃないかと思います。

どんな人でも、
本業は「自分自身を生きること」です。

僕のコラムが何かのきっかけになれば幸いです。

コーチングカテゴリの最新記事