ごま油の話(第7話)

ごま油の話(第7話)

行政との契約がバンバン取れていた裏の理由

 

前回の続きです。

2003年のバンドコンテストの埼玉代表のボーカルが社長をやっている会社に、
呼ばれて入社した当時29歳の僕。

新しい会社は、
市町村と契約して、ガラケー用の公式サイトを作る、
という仕事をしていました。

広報などを携帯で見られるようにする仕事です。

僕は、
東京都の青梅市、武蔵村山市、日の出町、瑞穂町と、
契約を重ねていきました。

公共事業関係に詳しい人には、
「そんなに行政との契約がとれるなんてすごいね」
って言ってもらえるのですが、

実はそこにはある秘密がありました。

実は、
市町村からは1円もお金をもらっていなかったのです。

「無料で作ります。広報も毎月更新します。携帯サイトを作らせてください」

というのが僕達の営業。

「え?じゃあどこから収益を得るの?」
って思いますよね。

そこは、広告収入モデルだったのです。

つまり、

「無料で携帯サイトを作りますので、
 こちらで営業して取ってきた広告は、
 100%弊社の収益とさせてください。」

という感じです。

なかなかよくできた仕組みですよね。

行政は本来予算を取らなければいけないところで、
予算削減ができて、
レベルの高い携帯サイトを作ることができるから喜ぶ。

僕達は、
そういう公共性の高い携帯サイトに地域の広告をどんどん出して、
しかもその広告料は月額課金制だから、
契約を取れば取るほど収益が積み重ねていくことができる。

そんな、
超理想的なビジネスモデル、

の、

はずだったんです。。。。。

 

 

行政に取り入るまではよかったが。。。

 

無料営業とはいえ、
実際にはそんなに簡単なものでもありませんでした。

ここは、力関係をしっかりと知っておく必要があるんです。

まず、役所は下からいってもダメ。
つまり、窓口にって「こういうアイディアがあるんですけど」って言っても、
誰も話なんか聞いてくれないんです。

こういうことは、市長、町長からのトップダウンが一番。

でも、いきなり市長のところにいけないですよね。

そんな時にはどこに行くのか。

議員さんです。

市長は議員さんに弱いんです。

でも、議員さんのところにも急にはいけない。

議員さんは誰に弱いのか。

力のある市民です。

商店会長とか。

なので、僕たちはそういう順番で話を進めていきました。

商店街 → 商店会長 → 議員さん → 市長 → 行政広報課

我ながら、よくやったなーと思います。

それもこれも、地域商店から広告を出してもらい、
広告費で収益を上げるため。
僕たちはそんなビッグビジョンを描いていました。

ところが、

誰も広告を出さないんです。

足を棒にして商店街を歩きまわりました。

でも、
東京都の西多摩地域の商店街。

おじいちゃんおばあちゃんばっかりです。

ガラケーのサイトに広告を出すというイメージ自体が、
全く伝わらないんです。

ほとんど契約が取れないまま、
時間だけがどんどん過ぎていきました。

 

 

年商1万円

 

広告収入モデルなので、
広告を取らないと始まらないのですが、
地域の商店の人は全然広告に興味を持たない。

そもそも多摩地域の西の方だったので、
ただでさえ高齢化が進んでいる状態。

携帯サイト自体がわからないという方がほとんどでした。

それでも、
なんとかツテを作って、
地域の大きな会社に挨拶しに行き、
1万円の広告を契約していただき、
大喜びしたりしました。

ちなみに、
年額1万円の広告です。

売り上げとしては微々たるもの。

ただ、そうやって地域を練り歩いていたおかげで、
中小企業から、
「広告は興味ないけどホームページ作ってくれないかな」
みたいなお話をいただいたりするようになりました。

でも、ほとんど毎日仕事がないような状態も続きました。

そんな時は、
僕がギターを弾いて、
社長がボーカルをして、
事務所でセッションしたりしていました。

元々が、バンドコンテストでの出会いですから。

そんなことをやっている時は楽しかったですが、
楽しいながらも
「こんなことやってていいのか」
という思いもありました。

このままじゃまずいんじゃないか、
と思っていました。

事実その予感は的中しました。

 

 

売り上げのない会社の辿る当然の末路

 

32歳くらいまでの3年間弱はその会社でお世話になっていました。

でも、実はほとんど売り上げが上がっていませんでした。

では、なぜ3年も持ったのかというと、
一つは出資者がいたこと。
もう一つは、公共性の高い仕事をしていて、ビジネスモデルが面白いので、
銀行や信用金庫はどんどん融資をしてくれたんです。

おいおい、ちょっと、
本当に売り上げ見てる?
って聞きたくなるくらい。

仕事らしい仕事がない日も多かったので、
ギターを弾いて事務所でセッションしたりもしていました。

このころの僕が学んだのは、
どんなに良いサービスだったとしても、
お客さんが「ほしい」と思わなかったら、
それは売れないんだな、ということです。

僕たちは、
「ほしい」商品を作り出すことができませんでした。

だから、売り上げがほとんどなかったんです。

ほそぼそと中小企業のホームページを作ったりもしていました。

ですが、
そんな仕事もいつでもあるわけではなく、

「ごめん、今月から給料でない」

突然言われました。
2013年、32歳の時のことでした。

僕は、路頭に迷うことになりました。

一文無し。
借金◯千万。
中卒。

 

(続く)

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