ごま油の話(第5話)

ごま油の話(第5話)

 

さて、前回の続きです。

 

3万円のお味噌

21〜22歳の頃、父親のコーヒー屋で月給12万の生活に限界を感じ、
僕はとにかくお金を稼ぎたいという気持ちで、
「学歴不問」と書いてあった、「健康食品の営業」の会社に就職しました。

 

会場と呼ばれる場所に、
連日訪れる300人以上のおじいちゃんおばあちゃん。

店長と呼ばれる人が、何言ってるかわからないような、
健康トークとお笑いトークをしながら商品を宣伝していきます。

 

ある日、
「今日は予約を取るぞ」
と言われ、何のことを言ってるのかと思ったら、
一本30000円以上する「酵素」という商品の予約を取る、とのこと。

ぱっと見小さな瓶に入ったお味噌です。

「えー、こんなの誰が買うんだよー?」
って思ってたら、なんと即日40人以上が予約。

びっくりしちゃいました。

えーー、なんでこんなのが売れるのーーー!!!
って。

そしてその翌日がその「酵素」の販売日。

なんと予約しなかった人まで購入。
一日で50人以上のお客さんが「酵素」を買いました。
一日で150万円以上の売り上げ。

こ、これは一体なんなんだ。

 

 

僕がもらえるのは5%

と驚いていたのも束の間、
そこからは毎週のように高額商品が飛び出すようになりました。
1年分15万とか25万とかのサプリメントが何種類も。

ローヤルゼリーとか、イチョウ葉とか、グルコサミンとか。
それをおじいちゃんおばあちゃんがどんどん買っていきます。

なんだかんだ4ヶ月で4000万円くらい売れていました。

売れていくたびに店長は、
「また報奨金がガッポガポだぜ!」
なんて言っていました。

その時はまだよくわからなかったけど、
この人は相当稼いでいるように見えました。

 

その会社は3〜4ヶ月程度で会場を移動します。

そして、一つの会場が終わるたびに、
売り上げに応じて「報奨金」というものが支給されました。
営業手当てです。

報奨金は店舗ごとに出されますが、
その7割は店長がもらえることになっています。

僕が最初にもらった報奨金は全体の5%程度。
それでも、生まれて初めての営業手当て。
嬉しかったです。

そんなこんなで引越しをしながら、
いろんなところでお店を開いては、
健康食品を売っていく。
そんな仕事をしていました。

この引越し作業の面倒なこと。

この仕事の中で何が一番嫌だったって、
引越し作業だったかもしれないです。

そんなこんなで仕事にも慣れつつ、
いままでの仕事の中ではお給料もよく、
月23万円くらいはもらうことができていました。

入社してから11ヶ月目、
事件が起きました。

 

 

全然売れない。。。

ある会場でお仕事をしていたときのこと、
その時の店長(前の店長とは別の人)が喉に不調をきたし
声が出なくなってしまいました。

そして、なぜか僕が代打に抜擢されたのです。
「えーーー!!!」
と思いましたが、とにかく一生懸命やりました。

そして、なんとその時の店長よりも売り上げを上げてしまったのです。

このことで僕は入社1年未満で店長抜擢という、
大記録を打ち立てました。

有頂天になったのも束の間、
次の事件が起きました。

 

正直、入社以来ずっと見てきた店長は、
何をしゃべってるんだか全然わけのわからない人で、
「こんな営業トークでもものって売れるんだなー」
なんて僕はタカをくくっていました。

だから、店長に抜擢された時はびっくりしましたが、
「正直ちょろいぜ」なんて思っていました。

そして、店長として任された初めてのお店。

毎日がむしゃらにトークをしました。

ところが、

びっくりするほど、

あきれ返るほど、

全くと言っていいほど、

全然売れない。。。

「中野を店長にするのは早かったんじゃないか」

店長会議では、そのような雰囲気が漂っていました。

売れなければ当然稼げません。

基本給ももらえるし、
店長手当てもつくけれど、
それで28万くらい。
そこからもろもろ引かれる。

それだって、コーヒー屋で月収12万の頃よりだいぶよかったけど、
でも、やっぱりもっと稼ぎたかった僕は、
一念発起しました。

 

 

 

全国トップになったけど

このままじゃ、お金が稼げない。
僕はとにかくお金が稼ぎたかった。
なりふり構わずやるしかなかった。

そこで、
その当時全国でナンバーワンの売り上げを出していた店長のところに行って、
お願いをしました。

「営業トークを勉強させてください」

僕は仕事が終わった後、
毎晩のようにその店長のお店に通いました。

昼間の間のその店長のトークは、
全てビデオを撮らせてもらいました。

そして、家に帰るとそのビデオを見て、
トークを全てノートに書き写しました。

自分で言うのもなんですが、
結構努力したと思います。

そして、
その努力が実を結ぶ日がきました。

 

とにかくお金を稼ぎたかったので
その当時全国でナンバーワンの売り上げを出していた店長のところに行って、
お願いをしました。

・毎日営業トークを教わりに行く
・毎日その店長の営業トークのビデオを撮る
・そのビデオを全てノートに書き起こす

そんな毎日でした。

そして、その努力が実を結び、
僕は25歳の時、その店長の記録を塗り替え、
全国1300人の営業社員の中で、
売り上げ全国1位まで昇りつめました。

1年間の僕一人の売り上げ、1億7000万円。
不思議と、そんなに嬉しくはありませんでした。
とりあえず「やったな」っていう感じ。

その当時で過去最高の年収をいただきました。

その金額は・・・

 

 

稼いだお金は結局全部。。。

その年の僕の年収は、約800万円でした。

1億7000万円売って、お給料800万円。
売り上げの4%。
今考えると少ないなー、と思います。

でも、不思議とそこには不満はありませんでした。

だって、会社に所属しているからこそもらえるお金だったからです。

不満もないけど、
喜びもありませんでした。

なぜなら、お金が欲しくて得たお金だからです。

目的のないお金ほど、空っぽなものはありません。

1万円札を手にして、
「これがあれば安心だ」
って考えてみてください。
不思議と虚しい気持ちになってきます。

カネカネ言ってきた僕ですが、
「本当にほしいのはお金じゃない」
「本当にほしい『何か』のためにお金が必要なだけ」
ということに、
その当時はまだ気づいていませんでした。

お金を稼いだこと。
稼げるようになったこと。
学校を出てる人たちよりも、稼いだこと。

そういうことを認めて欲しくて、
近所のカフェバーに毎晩入り浸り、
酔っ払って帰ってました。

カウンターに同席した知らない人に奢ったりして。
「カネもってる俺、かっこいい」
なんて思ってました。

自宅には鍵をかけず、いつでも誰でも遊びに来ていい状態を作り、
常に数十本のお酒をストックし、みんなで飲んだりしてました。
「全部俺が奢るから!お前ら一円も出さなくていいから!」
なんて言って。

気がつけば、800万円は飲み潰してました。
カードは限度額まで使っていました。

25〜26歳頃のことです。

 

 

しかも翌年には。。。

稼いだお金はほとんどお酒になって消えてしまいました。
今思えば、本当にアホなお金の使い方をしたと思います。

自分がどこに向かっているのかわからず、
怖かったし、寂しかったんですよね。

ほとんどのお金を使い果たし、
カードも限度額を超えて。。。

しかも僕は
肝心なことに気づいていなかったんです。

それは、

税金は翌年に反映されるということ(笑)

年収800万円の翌年の税金って
その当時の僕には結構やばかったです。

しかも翌年はそんなに売れていなかったので、
収入も多かったわけではなく。

減った収入と増えた税金のダブルパンチ(笑)

なかなか大変な一年間を過ごしたのを覚えています。

そのまま28歳くらいまでその仕事をしていたのですが、
ある出来事がありました。

(続く)

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