ごま油の話(第1話)

ごま油の話(第1話)

 

 

一文無しになった僕

 

僕、2013年の2月か3月ごろ、リアルに一文無しになったんです。

近所の「まいばすけっと」っていうスーパーで、
9個入り99円の生餃子の賞味期限がぎりぎりになって
30%オフになったやつばっかり買ってたんです。
(結構おいしいんですよ、笑)

で、餃子を焼くときにごま油使うじゃないですか。
そのごま油が、買えなかったんですよ。
お金が減るのが怖くて。

 

 

とにかくお金がほしかった

 

当時僕は、
「とにかくお金がほしかった」んです。

何が一番欲しかったって、
お金が欲しいんだってずっと思ってたんです。
とにかく金だ!金金金!!!
そう思ってました。

変な無料の「稼げる系セミナー」に行ったりもしました。
金になればなんでもいいや、と思って、
いろんなことやってたんですよね。

考えてみればその頃が、
精神的にも経済的にも一番きつかったです。

じゃあ何がどう変わって今の僕になったのか。
それは、
「本当に欲しいものはお金じゃないのかも」
ってことに気づいたのがきっかけでした。

お金は必要です。

だけど、お金が欲しいわけじゃないんです。

屋根のある家で雨風しのいで暮らしたい。
空腹を満たせるだけのご飯が食べたい。
恥ずかしくない服が着たい。
最低限「人並み」の生活を維持したい。

欲しかったのはそういう「モノ」とか「コト」だったんですよね。
そのためにお金が「必要」だった、ということ。

「じゃあやっぱりお金が欲しいってことには変わりがないじゃん」
って思いますかね?

でも、これって全然違うと僕は気づいたんですよ。

「お金が欲しいわけじゃないのに、
 お金が欲しいんだって自分が思い込んじゃってる」

この状態って、すごく恐ろしいなって気づいたんです。

 

 

その状態から抜け出すことができたのは

 

僕が「ごま油を買うのが怖かった状態」から抜け出すことができた、大きな要因は、
 ・自分はお金がほしいんじゃないんだって気づいたこと
 ・自分の理想の「在り方」が明確になってきたこと
がとても大きな要因だったんですよね。

それはコーチングとの出会いがきっかけだったのですが。

特に最近になって
「自分はこうなりたい」
とういうのと、
「自分はこう在りたい」
というのをわけて考えるようになりました。

 

この僕にとっての「在り方」という概念の説明が、
とても難しいです。

自分がなりたい、というのは、一個の自分の変化のこと。

自分が在りたい、というのは、存在としてどう在りたいか、
ということで、
人間が一人では自分の存在を認識できないのと同じように、
存在するというのは「それ以外」があって初めて証明できることで、
だから、「自分はどう在りたいか」というのは、
世界や社会に対してどんな存在でいたいか、
という意味で僕は使っている言葉です。

あー。わかりにくいですよね。わかりますかね?

この「理想の在り方」が自分なりに見えるようになってきてから、
ごま油を買うのが怖くなくなってきたんですよね。

 

時間の価値

 

さらには、自分自身の時間というものに対する価値の考え方が変わった、
ということがあります。

例えば、時間管理のセミナーに行ったりすると、
こんなことを言われたりします。
「1日8時間、年間220日の労働で、年収2000万円を稼ぎ出そうと思ったら、労働時間1時間当たり、11364円の価値がなければならない」

これ、その通りといえばその通りなのですが、
それで計算すると現実が追いついてこないんです。

なぜなら、1日8時間も「生産的な」時間を過ごせる人なんて、
しかもそれを年間220日間も繰り返すことができる人なんて、
そうはいないからです。

生産的な時間っていうのは、
僕たちのような仕事で言ったら、
セッションをしたり、セミナーをしたりというような、
相手の役に立って売り上げを生み出すための時間、
ということです。

ブログやメルマガを書いたり、
セミナーの準備をしたり、
商品構成を考えたり、
というような時間とは別の時間、
ということですね。

もちろんそれらも読者さんの役に立つための活動なのですが、
多くの人は後者のような活動に、
時間がどんどん圧迫されます。

ブログ書かなきゃ
facebook書かなきゃ
メルマガ書かなきゃ

あれ、でも、なんのためだっけ?

なんていうふうになっていたら要注意です。

それって、
「会社員時代に誰かに言われるままに仕事しているだけだった状態」
とあんまり変わらなくなっちゃってますよね。

僕は、
本当に短かった会社員時代、
典型的な指示待ち人間でした。

なぜなら、
「ただお金が欲しかっただけだから」

でも、
欲しいのはお金じゃなかったんだって気づくことができたんですよね。

欲しいものを手にいれるために、お金は必要かもしれない。
でも、直接的に欲しいのはお金じゃない。

例えば、僕はベトナムに図書館を建てたという結果が欲しいです。
(実際建てました)

美味しいものを食べたという結果も欲しいし、腕時計も欲しいです。
そのために、お金は必要です。

でも、お金が欲しいわけじゃないんですよね。

お金という仕組みは、あまりにも便利だから、
多くの人が「自分はお金が欲しいんだ」と思い込むようになってしまいましたが、
実際には「お金が欲しいわけじゃない」場合がほとんどなんですよね。
よくよく考えてみると。

だから、
「今やっている行動のその先で、どんな結果が欲しいのか」
それを、今まで以上に明確にしていくのがいいですよ。
少なくとも僕はおすすめです。

それを考えはじめると、
「いつまでも行き当たりばったりにし続けてはいけない」
ということが自分でわかってきます。

それは、お金が手に入らない、という不安からではなくて、
もっともっと有効に時間を使って、
自分の持てる力で、例えばセッションやセミナーをして、
自分が幸せでありながら、人に喜ばれ、人の役に立つ、
そういう時間をたくさん生み出していくためです。

 

もっとリアルな僕の過去

 

もっともっと腑に落としてほしいので、
僕の過去の話をしようと思います。

僕は、17歳頃からストリートミュージシャンをしていました。
ギターを弾きながら、駅前で歌ってたんです。

その頃から、
いろんな人が僕のところにきて、
恋愛とか人生とかの悩みを打ち明けてくれました。
なんか、駅前のお悩み相談所みたいになっていました(笑)

歌ってるよりも、人の話を聞いている時間の方が長かったかもしれません。
僕自身も、そうやって人の話を聞いているのが好きだったんですよね。
それに、なんかいろんなアドバイスとかもしていたような気がします。

そんなころ、ある人に言われたんですよね。

「お前って、言ってることは正しいように聞こえるけど、
 金持ってないから説得力がないよね」

僕は、結構ショックでした。

確かに僕は全然お金がありませんでした。
コンビニでバイトして、
廃棄になる賞味期限間際のパンやおにぎりを持って帰って食べてました。
そんな生活も嫌いじゃなかったけど、
でも「お金がないと説得力がないんだ」
という言葉に非常にショックを受けるとともに、
そこから僕の思い込みが始まったように思います。

「お金がない人は力がない。お金がある人は力が有る」
そう言われてみれば、世の中ってそんなふうに見えるかもしれない。
そんなふうに感じていたのが18歳か19歳くらいのころでした。

僕はバイト代を貯めて、車の免許を取りに行くことにしました。
運転ができれば、
中卒でも、もっと割のいい仕事に就けるんじゃないかと思ったから。

うん、この頃からですね。
僕が「お金が欲しい」という強い思い込みに支配され始めたのは。

きっと、
もっともっと前の子供時代から培われてきた
アイデンティティだと思うのですが、
(実家も貧乏だったので)
でも、象徴する出来事っていうと、その時のことかなって思います。
この時僕は、心から貧乏になりました。

(続く)

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